労働時間の変遷

 入社以来、20数年間、同じ場所の工場に働き続けていますが、ここ数年、収入は減り続けています。理由は、残業が減ったからです。かつては残業代だけで月10万円以上稼いでいました。かねてより減少傾向にありましたが、昨年からは完全にゼロになりました。

 昔、私が入社したばかりの頃は、一ヶ月に70時間、半強制的に残業させられました。それがサブロク協定の上限だったからです。70時間というと、毎日夜10時まで働いて、休日出勤を2~3回やると、その月の下旬、最終週あたりに到達します。そうなった時点で、やっと残業無しで帰してもらえました。外が明るいうちに家に帰れることはほとんとありませんでした。周りの上司や先輩もみんな残業していて、帰りたくても帰れない雰囲気がありました。それだけやっても間に合わない量の仕事を課せられました。

 がんばりすぎて体を壊して入院したこともありました。メーデーの行進では、若手の組合員が、「残業が多すぎて結婚できねえ!」(出会う時間が無いという意味)とシュプレヒコールをあげてデモ行進を行ないました。その頃私が思っていたことは、「こんな働き方をしていたら、40歳を過ぎたら体がもたないだろう。早く辞めて転職しなくては。」 本気で転職を考えました。

 あれから20数年、状況は大きく変わりました。円高不況、バブル崩壊、製造業の海外シフト、そして今回の世界同時不況で経費削減、という流れのなかで、残業の削減が会社側から厳しく取り組まれるようになりました。

 今は、毎日定時で外が明るいうちに家に帰れます。私としては、収入は減ったけれど、人間らしい生活ができるようになって、現在の方がよいと思っています。会社帰りに買い物をしたり、寄り道をして帰ることもできます。家に帰ってから、自分の趣味や家のことや地域の活動を行なう時間があります。

 皮肉なものですが、目的は全く異なるが結果的に健全な労働環境が実現してしまいました。私は喜んでいいのでしょうか。

(創作歌詞25)黒船来航

あれは6年前 工場が売却され
聞いたことも無い会社に買収された

やつらは、突然やってきた
その名は、ガイシ

会社の名前が変わった
建物の広告塔も、名刺も変わった

ガイジンさんが大勢乗り込んで来た
仕事のやり方は全て改められた

会計基準は日本式から
米国式に変わった

国内のネットワークは切り離され
香港に接続された

メールアドレスが変わった
メールのシステムも変わった

国内に送るメールも
太平洋を渡ってから送られた

わけのわからない英語のメールが
毎日送られてきた

半べそかきながら、辞書を引いて
必死で訳した

一通のメールに返事を書くのに
一日がかりでやっとだった

慣れというのは恐ろしいもので
それでもなんとかこなせるようになった

僕らはガイシに取り込まれ
ガイシの血を吸って生き続けている

(創作歌詞20)働くオジサン

年に何度か現場応援に出る
普段はデスクワークのホワイトカラーが
工場に入って立ち作業をする
僕にとっては、けっこう刺激的
同じ会社に居ながらにして
転職の気分を味わえるから
職場が変われば、みんな一年生
経験もプライドも役に立ちはしない
若いハケンのお兄ちゃんの言うことを
ハイハイとよく聞いて仕事を覚える
今から転職したら、きっとこんな感じだろう

前に何度かリストラがあった
希望退職の選択があった
辞めるか残るか、ふたつにひとつ
当時は景気も今より悪かった
辞めるもジゴク、残るもジゴク
転職したら給料は半分だ
僕が残った理由は、他にやりたいこともなかったし
給料は下がってもいいから、
同じ職場で同じ仲間と
働き続けたいと思ったから

僕が残って正しかったと確信したのは
あるアイルランド人との出会い
アジアは急速に伸びてはいるが
欧米の経済は衰退している
業績の悪い工場はとりつぶし
まっさらにして売り飛ばされる
ダブリンの工場も例外ではなかった
伝統も栄光も、役に立ちはしない
それでも最後まで責任をもって仕事をしてくれた
明日は解雇だというのに
僕は 彼のように
アイルランドの紳士のように生きたいと思った

(創作歌詞5)勤続二十年

雲ひとつ無い晴れた空
稲刈りの終わった田んぼ
やけにきれいで やけにさびしい
冬のマイカー通勤

何度この風景を眺めたろう
こんなに長く見続けるなんて
想像もできなかった

今日もこうして通う この工場に
ああ勤続二十年

会社はリストラを繰り返し
僕はリストラをする方にまわった
吸収合併を繰り返し
社名は何度も変わった

幾度辞めようと思ったか
辞めていった友も多く居た
それでも僕は残った

最後に鍵を閉めるために
ああ勤続二十年

群馬との不思議な縁、そして衝撃

 今日初めて気がついたのですが、うちの会社の群馬サイトがある場所は、群馬県太田市でした。先日お座敷ライブでお邪魔した居酒屋泰兵衛さんと同じところじゃないですか。すぐ近くだったんですね。もしかしたら、音暮路船の関係者の中にも従業員が居たのかもしれませんね。
 今日、その群馬の工場が閉鎖されるとの発表がありました。何ともやりきれない気持ちです。
 昨年の今頃、私は山梨工場を閉鎖する仕事をしていました。従業員は転勤か退職かを迫られました。いやな仕事でした。何も生み出さない、後ろ向きの仕事です。移管する事業の一部は、群馬サイトにも協力してもらったのを覚えています。その群馬が今度は...
 ここ数年、リストラがないようにと、経費削減やら業務改善やらで努力してきたのに、そんなのは何の足しにもならない。サラリーマンって悲しいね。トップの決めたこととはいえ、従うしかない。地方経済の低迷と空洞化は、まだまだ根強くはびこっています。

アイルランド人のこと

アイルランドの人と取り引きをしたことがあります。アイルランドのダブリンにあった関連会社の工場を閉鎖するので、そこで使われていた設備を日本で買い取ることになりました。相手の方も工場閉鎖で解雇ですから、まもなく失業するとわかっている立場なのに、実に丁寧に仕事をしてくれました。最後のE-mailには、「これで最後の仕事です。あとはUKの**さんに引き継いてあります。ありがとう」と書かれていました。質実剛健で知られるアイルランド人の職人気質には、頭が下がりました。一般にまじめで勤勉だと言われる日本人でさえ、リストラになれば自暴自棄になり、自分勝手な行動をとってしまうものです。自分の仕事に最後まで責任と誇りを持ち続けたアイルランド人。私もそのようにありたいと思ったものです。

最近思うこと

outdoorsを立ち上げて11年、ホームページを公開して6年。
たぶん初めて「outdoorsのポリシー」を改訂してみました。見ていただけましたでしょうか?
この一年、いろんなことがあって、心境の変化を感じています。
会社はリストラを加速し、多くの仲間達が職場を去って行きました。自分はリストラする側に回り、工場閉鎖を実行してきました。自分も次はどうなるかわかりません。
中年と呼ばれる年齢になり、既に人生の半分を生きてしまいました。今までいろいろ我慢したり、頑張って生きてきたけれど、残りの半分は、やりたい放題、好きなように生きていってもいいんじゃないかな。自由に、自然に、自分らしく。不良なオヤジに、私はなりたい。

2012年5月
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